歴史上の人物
徐福 鄭成功
徐福
史記によると、紀元前三世紀に秦の始皇帝の勅命を受けた斉出身の方土(道教の道術者)、徐福は、海中の三神山に住むという仙人の神薬(不老不死の薬)を求めるため、童男童女三干人と五穀の種や百工(さまざまな技術者)を携えて船出をした。しかしその後徐福は行方をくらませ帰国しなかったという。考古学的な調査によって「徐福の東渡」は間違いないとされたが、日本のどこに到着したかは明白ではない。徐福の伝承地は全国に20ヶ所あるといわれる。伝承地に共通しているのは、徐福は神様としてまつられていることである。佐賀では農業、山梨県冨士吉田市では養蚕(織物)、河口湖町では紡織といったように、また熊野地方では造船、捕鯨など漁業を教えたと伝えられている。まさに「殖産の神」といった感じである。
伝承地の一つとして和歌山県新宮市がある。新宮市の阿須賀神社には徐福をまつるお宮さんがあり、新宮駅のすぐ近くに徐福の墓がある。.阿須賀神社は古くは飛鳥神社とも呼ばれ、由緒ある神社である。徐福が不老長寿の薬を求めて黒潮にのって東進し、紀伊半島の熊野地方に漂着したことを推測させる遺跡といえよう。
鄭成功(1624~1662)
日本の今の長崎県平戸市生まれ。
父鄭芝竜と田川七左衛門の娘との間に生まれた、中日混血の英雄。
福建省南安市生まれとの説もあり。
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