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漢詩・小説


漢賦:司馬相如、曹植、院籍、陶淵明、謝霊運

漢賦の特色は、世界全体を手に入れようとする精神がみられる。植物や動物の名、美辞麗旬を列挙し、言葉でうめつくそうとする漢賦は、あたかも、大量の珍しい物資を集め、人々の目を驚かせしめた漢帝国の出現を象徴するものである。
ところが、唐詩ではおびただしく列挙された事物は視界から消え、目ではとらえられない無限の情感が描かれている。「全体」から「無限」への変化である。

小説

* 三国志
張飛家は代々、琢州の桃荘に住んでいた。張飛は水田をいくらか持ち、酒や豚肉のあきないをし、天下の豪傑たちとよく交際した。彼は勇猛粗暴な人ではあるが、時には策略を用いて人を惑わせた。長坂坡の戦いで、曹操の大軍が劉備を追いつめた時、わざと企図のあいまいな布陣をしき、独りで長坂橋を守り、馬の進行を止め、矛をかまえて、大喝一声、曹操の百万の大軍を退けた。

張飛・劉備・関羽の3人は兄弟のちぎりを結び、「心を同じゅうして力を合わせ、困苦にある者を救い、上は国家に報じ下は民草を安んぜん。同年同月同日に生まれんことは得じとも、願わくは同年同月同日に死せん。……」と誓い合った。これにより、張飛と関羽は劉備の主要な助っ人となり武将になったが、最後は2人とも身を殉じた。

関羽は字雲長、河東群解良県の出身である。土地の悪い豪族を殺したため難を避けて各地を渡り歩き、やがて劉備、張飛と知り合いになって桃園で義を結び、3兄弟の次兄となったのである。彼は身の丈9尺、切れ長の目、太く濃い眉の威風堂々の男である。劉備が四川に入ったのち、彼は荊州の守備に当たっていた。そこで、曹操を北に討ち、七軍を溺れ死にさせ、曹操の大将于禁をとりことし、勇将寵徳を斬ってその勇名を天下にとどろかせた。ところが、彼は諸葛亮の「北は曹操に協力し、東は孫権と和睦する」という基本的な戦略に違反したため、腹背に敵を受けた。呉の大将蒙が虚に乗じて荊州を破り、関羽は敗北し、殺されてしまった。関羽は高雅で古書に通じ、曹操はその武芸と人材を尊敬し、味方にしようとしたが、関羽はあくまで劉備に忠誠を尽した。「三国志演義」に造りあげられた関羽のイメージによって、かれは「忠義」の化身となり、民間では神化して「関帝」といってあがめ、いたるところに関帝廟を建てて彼を祭った。

劉備は、字は玄徳、漢の皇室の末裔である。彼は琢州城の南の楼桑村に生まれた。彼は幼くして父親に死なれ、家が貧しく、ぞうりを売り、ムシロを編んで生計を立てていた。数々の武勲を立てた後、関羽・張飛と義を結び、村の若ものを募り、ともに旗挙げした時、すでに28歳であった。曹操の大軍が南征し、劉備討伐を開始した時、劉備は劉表をたより、荊州に行って身を寄せた。そして、徐庶、諸葛亮、麗統らを軍師に招いた。しかし曹操の大軍の南征により劉表勢が敗北した。劉備は諸葛亮の方略にしたがって、呉の孫権と同盟を結び、ともに曹操と対抗した。208年、両軍は赤壁で戦い曹軍が敗北して北方へ引きあげた。これが三国鼎立をもたらした画期的な戦役―赤壁の戦いである。この戦いはまた、中国戦争史において、少数をもって多数に打ち勝ち、弱をもって強に打ち勝った典型的な戦例である。214年、劉備は兵を率いて蜀に入り、劉璋の手から益州(四川)を奪いとり、つづいてまた漢中を手に入れ、蜀漢の基礎を築いたのである。22L年、劉備は漢の伝統をうけ継ぐといって帝位についた。劉備は諸葛亮ら臣下の諌めを聞かず、自ら大軍を率いて呉の討伐にむかった。川江に出兵、?(虎)亭で戦ったが、蜀軍は大敗した。これが史上にいう「夷陵の戦い」である。この戦役で、蜀軍の精鋭が多く失なわれ、国力が大いに損われた。奉節県へ撤退した劉備は、白帝城で病死し、戦いに明けくれたその一生を終えた。

* 水滸伝

宋朝の腐敗した政治に対して華北で宋江の反乱(1120年)が起きた。この宋江の伝説に他のさまざまな伝説・説話が加わり、明代の初めに今日の水滸伝の原形となる物語ができあがった。水滸伝の版本が数種あるのは、70回本の銘々伝的なものにとどまらず、108人にもっと活躍してほしいという、民衆の熱望があったからであろう。反旗をひるがえし官軍をものともせぬ梁山泊の好漢たち。弱きを助け強きを挫く108人の英雄譚は、強いばかりではない内面の弱さもある人間味あふれる豪傑像を描き出している。

*中国文学のヌーベルバーグ(新潮流)

文化大革命で学業を中断して地方に下放し、労働にたずさわった"失われた世代"に属する若手作家が中心となり、開放政策の中で大胆に肉声を語り始めた。

張辛欣:「同じ地平に立って」「わが世代の夢」「狂乱の君子蘭」

中国の現代社会にうごめく欲望や疎外観を、カフカ的な幻想や心理描写をとりいれた新しい文学的手法で描き出す。利己主義的な若者、平凡で単調な暮らしにいら立つ女性、金銭欲で君子蘭栽培に狂う庶民など小説の主人公の姿は、体制の異なる日本の読者にも関心をよぼう。

遇羅錦:「春の童話」

男女の愛を追求し、従来のモラルに真っ向から挑戦した作品。25歳年上の編集者に恋し、裏切られた私生活を暴露したこの小説は中国国内でもスキャンダラスな話題をよび、82年に発表直後、"西欧ブルジョア文化の汚染"と批判され、掲載誌は回収された。

賈平凹:「野山-鶏巣村の人びと」

中国西北部の辺境の農村が舞台で、伝統的な生活を続ける農民と、進取の気象に富んだ近代化農民の対比の構図に、"夫婦交換"という衝撃的な素材を盛り込む。この作品は映画化され、中国のアカデミー賞と呼ばれる金鶏賞を独占、日本では、中国映画初のベッドシーンが話題となった。

史鉄生:「わが遥かなる清平湾」

激動と混迷の時代にほんろうされ、心に傷を負った作者が、農民たちの暮らしの中に自己を発見する様子が描かれている。

王蒙:「おお、モハメッド・アマド」

作家と辺境の少数民族との温かい交流がつづられている。

古華:「芙蓉鎮」

山間の小さな町で米豆腐を売る気立てのやさしい女主人公が、文革の嵐の中で辛酸をなめるという、改革路線を支持する内容の大河小説だが、人問模様が面白く描かれている。この小説は第一回茅盾文学賞を受賞、映画化された。

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