江蘇省

無錫
無錫の古い名前は梅里である。泰白という人物が、商朝末三度帝位をゆずり、三千二百年前、今の陝西省の岐山からこの地に来て句呉国をおこした。日本とも深い係わり合いがあり、この由来にちなんで水戸黄門は、自らを梅里と号し梅園を作り隠居した。楊子江の下流の町であり、同省では、南京につぐ二番目の大都市です。近くの鎮江は漬物の町、さらに近くには、金山寺があり、味噌は、この金山寺より初まったといわれます。また、世界の名酒といわれる老酒、紹興酒の町も近い。さらにこの地方は江南地方といい、漢方医学の発生の地でもあり、その歴史と伝統は、今日も生きており南京医学院を訪ずれると一万点からの漢方生薬がある。これらを、さらにさまざまに調剤調合し、各人に合せた調剤処方をおこなう。また琵琶湖の三倍ある太湖は太湖老酢で有名である。

蘇州
ぐるりと街をとり囲む運河と市内を巡る数えきれない水路を、のどかに船の行き交う街、蘇州。昔から上流階級の別荘地として広く知られています。この地に庭園つきの別荘をもち、蘇州美人と花鳥風月に囲まれておくる余生は、風流な粋人たちの夢だったようです。100を超えるという蘇州の庭園は、長い歴史の興亡のなかでも変わらぬ美しさを保ち続けています。特に有名なのは拙政園です。明の時代、高官<王献臣>が引退後の住まいとして建てたもので、複雑に入り組んだ池が庭園の半分以上を占め、池にかけられた回廊からの眺めは変化に富んですばらしいです。拙政園のすぐ南にある獅子林は、庭石として珍重される太湖石をふんだんに使用し、そのさまが獅子のように見えることから、その名が付いたと言われます。

*獅子林
日本庭園のルーツを偲ばせる元代庭園である。

寒山寺
唐の張継の「月は鳥蹄に落ちて…」で日本になじみが深い。

虎丘

南京(省都)

南京は、北京、西安、洛陽と並ぶ中国4大古都のひとつです。唐時代には金陵といい、六朝時代には健康といった。三国時代(3世紀)に、呉の孫権がこの地に都を置いて以来、幾多の王朝の首都として政争と革命の舞台となってきました。街路樹の美しさは中国でも一、二を争うほどで「南京の街は緑のトンネル」といわれます。2万4千本ものプラタナスの樹が、江南の陽光をやわらげています。また歴代王朝が狩場としていた、5つの島が浮かぶ玄武湖は、いまでは市民の憩いの場として開放されています。また陽光に映えて紫金色に見える紫金山、その山麓に中国民主革命の先駆者である孫中山が眠る中山陵など見所が多い。中国三大名錦の一つ雲錦の生産地である。

*南京長江大橋
上を自動車、下を鉄道が走る二重構造の橋で世界最長である。

揚州
江蘇省の直轄市であり、長江と大運河が交差するところで、長江の北岸、大運河の西岸に位置する。特に日本との交流は古く、日本からの留学生はここまで船で来てから、西安や洛陽を目指したという。長江が日本では揚子江と呼ばれるのも、隋唐時代の留学生によって伝えられたためです。唐の時代、揚州は広陵とも呼ばれ、長江に接する大運河の要衝であり、穀倉地帯江南の米の集散地として繁栄しました。日本とはなじみが深く、井上靖一の小説「天平の甍」に描かれた鑑真は揚州で生まれた。各所にその旧跡が残っており、しばらく住んでいたという法浄寺もそのひとつ。鑑真は仏法の正しい戒律を伝えるため6度の渡航を試み、その間に失明しましたが、ついに奈良の都に入り、唐招提寺を開きました。

鎮江
長江の南岸にあり、揚州の対岸に位置する。古来、交通の要衝であった鎮江には、今も200トン級の定期連絡船が運航し、長江を横断する30分の遊覧船の旅を人々は楽しんでいます。明の時代、わが国の画聖雪舟が水墨画を学ぶため鎮江を訪れています。そのゆかりの金山寺は、高さ50mの金山にある寺。京劇で有名な伝説「白蛇伝」の舞台は、この山の一つの洞窟だと言われます。

 金山寺

呉江
呉江市は、江蘇省の最南端に位置しています。琵琶湖の4倍もある太湖の恩恵を受け、気候も温暖で農業、漁業等が盛んです。また、金融都市上海を支える地方都市の1つとして、近年急激に発展しています

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