福建省 秦の始皇帝が中国を統一した後、この地域を?中郡としたのが由来でむかし?(ミン)と呼ばれた。唐代の初期には福・建・泉・?・汀の5州に分かれ、清代に最初の2州をとって福建省となった。 福建省は台湾との関係が密接であり、台湾人の80%は福建人の子孫と言われ台湾と福建南部は言葉もほぼ同じである。台湾当局の肉親訪問解除後の緊張緩和ムードに乗って、経済交流も活発になってきたが、今後は台湾当局の政策次第である。また福建省は経済建設が遅れており、これが台湾との交流にも足カセになっている面がある。福建省は台湾に対する前線であったため、国の投資が少なく、沿海部に鉄道すらない。この結果、工農業総生産は隣接する広東省に比べてかなり劣っている。 泉州 福州 厦門 近代史において、アヘン戦争の敗北により半植民地として外国資本主義勢力の下で歴史の荒波にもまれ続けた。1938年には日本に占領され以後7年間余り“日本南進の拠点"となった。新中国成立後、開放政策の進展とともに1980年には福摩省でただ一つの“経済特区"に指定された。天然の恵まれた港に加え、1982年には5万トン級の船舶の入港が可能になり、翌年からは香港との間に国際空路も開設されるに至った。外国資本や技術導入の誘致条件は着々整いつつある。 |
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