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歌舞団 陝西省歌舞劇院 長安古典芸術団 甘粛省歌舞団 上海舞劇院 上海歌舞団 東方歌舞団 天津歌舞劇院 湖北省歌舞団 中国中央民族歌舞団 中国中央バレエ団 1940年"革命の聖地"延安で生まれ、新中国の歴史とともに成長した。西安の解放後、延安から西安市に移ってすぐに団員の養成機関を設置し、40人の青年男女を選んで本格的な訓練に取り組むことになった。1955年、大行政区撤廃にともなって、陝西省文化文物庁の直轄指導下に入った。上演活動は東北・西北・南西の各省、自治区をはじめ全国の大都市に及ぶ一方、首都北京では全国規模の芸術活動や対外活動に重要な役割を果たしている。現在団員は270名を超え、延安以来の歴史と実力を誇る大型歌舞団に成長した。中国の対外文化使節として、まさに中国を代表する顔ということができよう。
長安古典芸術団は、中国国内で最初に民族古典楽舞の研究・舞台化を成功させた文化芸術団体です。同芸術団は二千余年の歴史をもつ中国民族楽舞の文化遺産の保護、発掘、研究並びに継承により、古代の美しい東方芸術の花を再び咲かせ、人々の愛国心と民族の誇りを高めることを使命として設立されました。その前身は陝西省歌舞団、さらに1940年に延安で設立された西北文芸工作団にまでさかのぼることができます。 仿楽舞:
代表的舞踊――「シルクロードの花吹雪」<絲路花雨> 出演:仲明華、賀燕雲、李為民、呉鴻玉、張稷 内容:
上海舞劇院は、1956年創立の上海歌劇院舞劇団と1979年創立の上海歌舞団が再編・合併し、1985年に新しく創設された。現在上海舞劇院には、『仲林舞劇団』を含む二つの舞劇団と管弦楽団、民族オーケストラなどがあり、専従の舞台美術家など実績があり、経験豊富な制作スタッフを多くかかえている。メンバーは『仲林舞劇団』の指導者、李仲林をはじめ館巧、白水など中国を代表する著名なバレエ演出家を中心に、各種のバレエコンクールなどで優勝経験のあるベテランから、有望な若手スターダンサーまで多くの秀れたダンサーを擁している。 「木蘭瓢香」「鳳鳴岐山」「覇王の死」「岳飛」など中国の歴史からの題材を中心に創作、上演し、中国国内のみならずアメリカ、ヨーロッパなど世界各地で積極的な公演活動を行なってきた。上海舞劇院のこうした意欲的な活動と有能な若手ダンサー達が中国政府、上海文化局より数々の名誉ある表彰を受けている。特に仲林舞劇団は指導者、仲林の卓抜した創作能力と演出の巧みさ、ダンサー達の質の高さで最高の評価を受けている。
(代表的史劇) 木蘭瓢香: 中国国内で小国同士が争い、戦乱が続いていた戦国時代が舞台。民衆は疲れ、国力の弱っているすきを狙って夷敵が中国への侵攻を図っていると報告を受けた皇帝は、万里の長城で夷敵の侵入をくいとめんと全土から兵士を募る。日頃から民百姓の苦しみに心を痛め、戦火を鎮めんと決意を胸に秘めていたが、女であるために国のため働けぬことを嘆いていたヒロイン花木蘭は、父に届いた徴兵通知を目にし決然と病弱な父に代り、男装し出征する。男になり切った木蘭は忠実な従僕と共に功を重ね、やがて将軍にまで昇進し、軍を率い、最後の決戦を挑むべく万里の長城に布陣する。壮絶な戦いの末、遂に勝利をおさめ、華々しく凱旋する。皇帝から最高の栄誉と富を贈られるが、木蘭はすべて辞退した上で、"願わくは、一頭の名馬を貸し与え、我を故郷に帰したまえ”と父の待つ故郷に一人静かに帰って行く。 鳳鳴岐山: 殷の最後の皇帝紂王は軍を率い東方へ出征した。武王は紂王に従い東夷征伐に参加し、殺されそうになった女奴隷明玉を救山した。東夷の謀臣費仲は紂王にねがえり、狐の精を使い美女妲己に変身させ、王誘惑の詭計を巡らし紂王は妲己の虜になってしまう。 この時をさかいに、紂王は酒色に溺れ、国政をかえりみなくなった。武王は子牙を父とあがめ、民衆を率いて、紂王討伐に向けて戦いの準備を開始する。武王率いる軍勢は殷の都朝歌を攻略、殷は破れ都は陥落する。費仲は最期を遂げ、妲己は姜子牙によって仙人の縄でしばりあげられ狐の本性をあらわし死ぬ。武王と紂王の決戦は鹿台で行なわれ、紂王は焼きうちにあい鹿台は陥落し殷王朝は幕を閉じた。大地はよみがえり鐘が鳴り響き、新周王朝が誕生する。 上海歌舞団が演じる「金舞銀飾」は、上海市が世界に誇る伝統舞踏芸術であり、長年にわたり友好使節として30数カ国を歴訪し、高い評価を受けています。「金舞銀飾」とは、中国古代の内一唐代から宋・元・明・清代そして現代に至るまでの千年来の歴史と文化を、舞踏と服飾の中に巧みに組み合わせ、美しく華やかに演じて見せるものです。
中国における大型総合芸術公演団体の一つである。半世紀以土の歴史をもち、舞踊団、民族歌舞団、管弦楽団の3つの団体からなり総勢450名以上により構成されている。主な作品として、「唐宋風韻」「千夜一夜」が挙げられる。また、最近では、レベルの高い歌劇や舞踊を完成させるだけでなく、国外での公演にも積極的に取り組んでいる。上演した国として日本、タイ、イタリア、シンガポール、アメリカなどである。中国の対外文化交流事業の促進に大いに貢献している。
1959年に発足し以来主として湖北省に伝わる民間の歌舞を研究し上演する歌舞団として今日に至っている。1978年、「編鐘」の発掘に伴い、この民族の大遺産:地下音楽殿堂:の復元、複製に情熱をそそぎ、湖北省博物館をはじめ、全国の舞踊、美術、史学家の支援のもとに、3年の歳月を費やして「編鐘楽舞」を完成した。1983年8月、初演、大成功を収め、以後中国を代表する舞台芸術として、中国政府により紹介されている。 「編鐘楽舞」: 「編鐘楽舞」の舞台は、長江の中流にあり、戦国「七雄」の一つとして、経済繁栄、文物興隆し、独得の文化を生み出した楚の国の芸術、風俗、人情、祭祀、農事、戦争及び宮廷の情景が生き生きと展開されている。編鐘とは、1978年夏、湖北省随県の郊外で発見された、戦国時代、楚国の古墳、曽侯之墓より出土した、総計7000余点の文物と共に発見された、青銅製の64個からなる一そろいの音楽鐘のことである。 56にのぼる中国民族の中から歌舞芸術に優れた国宝級の人材を集めて1952年に設立した中国唯一の国家クラスの少数民族芸術団体です。すでに46年の歴史をもち、70カ国を超える世界主要都市で公演を重ねてきた民族歌舞の華です。中国4000年の歴史に育まれた高度な演奏技術、躍動感溢れる舞踊、一流の歌手による声量豊かな歌唱はどれも伝統に裏打ちされた至芸です。
中国中央バレエ団は1959年、北京舞踏学院の卒業生達によって創設された国立バレエ団であり、創設にあたってD・グーセフの指導と助力を受けた。以来同バレエ団は中国の主要な劇場及び各都市で積極的に公演を行ってきた。公演は中国及び外国の作品、クラシック及びモダンの作品など、それらのテーマ、ジャンル、スタイルは変化に富んでいる。 中央バレエ団の主要なレパートリーは、紅色娘子軍、白毛女、魚美人、新年の祝福、林黛玉等の中国バレエ、白鳥の湖、ジゼル、海賊、ラ・フィーユ・マルガルデ、フチサライの泉、エスメラルダ、シルヴィア、レ・シルフィード、ドン・キホーテなどである。 また中央バレエ団は数多くの優れた舞踊家を輩出してきた。芸術顧問である、戴愛蓮(Dai Ailin)女史、団長兼振付師である李承祥(Li Chengxiang)の指導のもと、才能豊かな舞踊家、振付師、音楽家、芸術家達が、中国バレエ様式のために絶え間ない努力を続けている。 これまでビルマ、ユーゴスラヴィア、アルバニア、西ドイツ、オーストリア、アメリカ合衆国、フィリピン等で公演を行い、各国の国民との友好、文化交流に貴重な貢献を果してきた。
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