概要

地理 政治 経済 人々 自然 歴史 文化 宗教

地理

ソロモン諸島は東経160度、南緯9度に位置し、992の島からなりそのうち347の島は無人島です。同諸島は、パプアニューギニアとの国境付近に位置するショートランド諸島から、南東方向にあるバヌアツとの国境付近に位置するサンタクルス諸島まで1448キロに及びます。面積は461000平方キロにおよび、そのうち28446平方キロは陸地です。
大きな主な島は、Choiseul(ショアゼール), New Georgia(ニュージョージア), Santa Ysabel(サンタ・イサベル), Guadalcanal(ガダルカナル), Malaita(マライタ) Makira(マキラ)島です。ソロモン諸島はオーストラリアの北東およびハワイの南西方向に位置し、うっそうとした森に覆われた陸地と岸沿いのサンゴ環礁の景観がみごとなバランスを保っている。またマライタ島の北部にはサンゴと土で作られた小さな人工の島が見られる。

政治

ソロモン諸島の政治は、イギリスの君主を総督とするウェストミンスター制民主主義制度を採用しています。同国の首相は内閣の長です。50議席ある議会はホニアラを見渡す丘の上に位置し、1年に数回開会されます。議会は任期が終了する前に議員の過半数による投票で解散されます。議会の代表は単一選挙区に基づき、選挙権は18才以上の市民に与えられています。

首相は議会で選ばれ、内閣の他のメンバーを選びます。各省の長は内閣のメンバーであり、その下に次官、上級官吏が続いています。

国は10の地方行政区に分けられ、そのうち9行政区はプロバンス(州)であり州議会によって治められ、10番目の行政区はホニアラであり市長を長とする市議会によって治められています。土地の所有権はソロモン諸島の住民すべてに与えられています。独立した当時、市民権は、両親が、イギリス国籍を持つ者、あるいはソロモン諸島に住む種族などあらゆる人々に与えられました。
法律によると、中国人やキリバス人などの国外居住者も帰化を通じて市民権を得ることができることが規定されています。土地は一般に、家族あるいは村を基盤として保有され地方の習慣によって母親または父親から引き継がれていきます。島民は島の伝統にそぐわない経済事業に土地を提供することに積極的ではなく、このために土地の所有権をめぐってつねに論争がおきています。
ソロモン諸島には軍隊は存在しませんが、およそ500人におよぶ警官が国境を保護しています。警察はまた消防、災害、救援、および海上監視の責任を担っています。警察庁の長官は総督によって任命され首相の権限の直下にあります。

経済

農業、林業、漁業がソロモン経済の中心で、2004年度において国民総生産の63%を占めました。林業の成長をスローダウンする伐採規制法が制定されていますが、経済専門家たちは2005年から2007年にかけて3ないし6%の成長を予測しています。もしガダルガナル島とマライタ島のパーム油生産の復活およびガダルガナル島での閉鎖されたゴールドリッジ金鉱山が再開されたら、さらに成長率は増大するでしょう。パーム油、コプラ、木材および魚介類製品は同国の主要な外貨および外貨準備高の源であり、輸入総額の2倍以上になると予想されます。主要な貿易相手国はオーストラリア、マレーシア、韓国および台湾です。

外国資本によるインフラの再整備によって建設業の成長率が増大していますが、一方サービス部門は限界的な成長を示しています。アジア開発銀行によると、このような経済の成長はソロモンに対するオーストラリア政府援助の地域援助ミッションのもとでの法律の改正によると結論づけています。
現在、ホニアラ市場への果物と野菜の供給および為替相場の安定のおかげでインフレ率は6.5%(2004)の安定した水準にあります。
しかし2005年以降、貨幣政策がインフレ圧力をコントロールし為替相場が安定し続ければおよそ5%に水準に落ち着くと思われます。

人々

ソロモン諸島は、パプアニューギニア,バヌアツ、ニューカレドニア,フィジーなどを含むメラネシアの一部であり、南東アジアからハンターたちや採集家などが最初に移住し、その後船乗りたちがやってきました。

Lapitaと呼ばれる陶器類の独特なタイプを調査して、考古学者たちは東太平洋のポリネシアの初期の移住者の起源はソロモン諸島を含むメラネシアの人々であると考えました。

今日、人口の70%ないし80%は、都市域から離れた小さな村、開拓地や島々で生活をしています。


自然

ソロモン諸島の主な島には元来火山があり、密生した熱帯林におおわれ急流の川が流れています。それらの環境はCardinal lorryなど多くの土地特有の植物や動物にとっての生息場所です。

現在推定によると、4500種の植物と173種の鳥が生息しており、後者には中央および西部地域の島々の熱い砂の中に巣を作っている有名なMegapode と呼ばれる鳥が含まれます。たとえば、世界遺産のRennell島では、10種類の植物と4種類および9亜種の鳥が固有種として確認されています。また、kraitとして知られる海蛇も固有種です。


歴史

考古学的および言語学的な根拠によって、ソロモン人の先祖は4000年ないし5000年前に東南アジアから移住したことが分かっている。彼ら移住者たちはその後、さらに東方および南方へ移住を続け、バヌアツ、ニューカレドニア、フィジーやトンガ、サモアなどのポリネシアン諸島へ移住しました。しかし考古学者が指摘するように、一部のポリネシア人は後になってソロモンに戻ってきて、彼らの子孫たちは、現在ソロモン諸島の北と東の国境沿いの環礁に住んでいます。

16世紀以降になって、ヨーロッパ人がソロモン諸島を探検するためにやってきました。スペイン人の探検家アルバロ・デ・メンダナは1568年に初めて訪れ、ガダルカナル島で砂金を発見し、彼はそれをキングソロモンの莫大な財宝の一部と信じ、ソロモン諸島と名づけました。多くの群島にスペイン語の名前がつけられているのはメンダナの影響によります。メンダナの後にオランダ人およびフランス人の探検家が訪れ、続いてドイツ人およびイギリス人の探検家がやってきました。

ニュージョージア島、ガダルカナル島、マキラ島の島々は1893年にイギリスの保護領となり、1896年にツラギ(Tukagi)が首都として宣言されました。サンタクルス、レンネルおよびベローナの島々は1898年から1899年の間にソロモン諸島に含まれましたが、ショートランズ、ショアゼール、サンタ・イサベルおよびオントン・ジャバの島々は1900年まで保護領に組み入られることはありませんでした。

やがて第二次大戦が勃発し日本軍はソロモン諸島に侵入し島は戦場と化した。日本軍と連合軍はともに陸上、海上および空中での戦いで多大な損害をこうむりました。戦後60年たった現在、戦争の残骸は諸島に見られますが、滑走路や道路などはインフラとして使用されています。

ソロモン諸島は1978年7月7日イギリスから独立しました。しかしその20年後の1998年に、ガダルカナル島で種族間の武力対立が起きましたが、オーストラリアおよび隣国の太平洋諸国は2003年にRAMSI(ソロモン諸島地域援助ミッション)を派遣し、種族間の対立は幕を閉じ、国内は平静さを取り戻し現在は選挙による政府によって政治が行われています。


文化

共同体、種族、家族はWantokと呼ばれるシステムによって強く結びつけられています。メラネシア文化において主要な基盤はWantokであり、これは血縁者、家族を助ける人たちその他の同じ言語を話す人々を意味します。

ピジョン(現地の言語)でKastomとは伝統的な信仰および土地の所有権を意味します。信心深いキリスト教がソロモン諸島での主要な宗教ですが、依然大きな島に住む人々は伝統的な風習に従っています。孤立した場所にある村の生活はこの数世紀の間ほぼ同じスタイルです。一部の村は見知らぬ者を歓迎しますが、こうした辺鄙で広範囲な領域を勇敢に訪問する前にまず地元の役所に落ち合わせることが大切です。

宗教

島民の95%はクリスチャンです。主な宗派は、メラネシア教会(アングリカン)派はおよそ25%、ローマンカソリック派は19%、サウスシーズ・エバンジェリカル派は17%、ユナイテッドチャーチ(メソディスト)派は11%、セブンスデイ・アドベンティスト派は10%です。最近新たな宗派が現れてきました。

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