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新疆ウイグル自治区
シルクロードの要衝の地、新疆地方は天山山脈が西から東へ1700キロも走り北にズンガリア盆地、南にタリム盆地が広がる。 新疆は1955年10月1日に自治区として成立し、面積は165万平方キロ(中国全土の1/6を占める)で我が国の4.4倍もある。人口は580万人のウイグル族を含め1300万人と少ない。モンゴル・ソ連・アフガニスタン・パキスタン・インドと接する国境線は5700キロにもおよび中国の戦略上の拠点として重要な役割を担っている。1954年春、新疆に駐屯していた人民解放軍の退役部隊で「新疆生産建設兵団」が編成され中国最西北の開発に力が注がれたが、水資源が極端に乏しいこと、発達した東部沿海地区と遠く離れていることによって、新疆開発は決して容易なことではない。だが未開発の広大な土地に加え、豊富な鉱物資源が眠っていることなど将来の開発が期待される。 ぶどうの栽培は1000年以上の歴史があり、中でもトルファンは有名なぶどうの産地である。火焔山の奥の方には南北8キロ、幅500メートルにわたって別天地ともいえるぶどう溝がある。この一帯にはウイグル族、回族、漢族の3民族数千人が住み、大規模にぶどうを栽培している。 トルファン:ウルムチの南東180キロにあり列車またはバスで4時間ほどかかる。漢の武帝時代から西域経営の拠点とされ、現在はウイグル族の中心地である。トルファンとはウイグル語で低地の意味で、海抜マイナス154mと世界一の低地である。 天山北路と天山南路に分かれる出発点にあり、山麓に囲まれた人口18万人の盆地の町で“火の州"と呼ばれるように、夏は日中40℃以上になり中国で最も暑い。すさまじい乾燥のため、カレーズ(地下水道)を織って天山山麓の雪解け水がひかれている。豊かな物産の集積地でもあり、トルファンぶどう、メロンの一種のハミウリ、スイカなどと並んで、注目されているのが世界で最も繊維が長く高品質といわれるトルファン綿である。盆地の真ん中に標高851メートル、全長90キロの火焔山がそびえる。山の砂岩は紅褐色で、日光に照らされると炎のように見えるので火焔山と言われるようになった。古典小説の孫悟空が妖怪と戦う物語『西遊記』はこの山を舞台として描かれた。周囲のトルファン盆地は海面より低いために主峰はひときわ高く見える。トルファンは年間を通じて降雨量が非常に少なく乾燥し、そのために古城の遺跡は奇跡的に保存されてきたのである。ベゼクリク千仏洞とアスターナ古墳は有名である。 トルファンの町から南東へ40キロの火焔山のふもとには高昌城趾が残る。高昌城は、紀元前1世紀に造られ、西暦640年に唐に征服され14世紀に減亡するまでキャラバン・僧侶・使節が絶えず行き来していたシルクロードの中道(天山南道)の要衝だった。 ―高昌城趾: 夏の平均気温40度の"火州"に漢人が、高昌国を建てたのは499年のこと。街の南東、砂漠の中に残る高昌遺跡は、その王城の跡です。日干しレンガ造りの城壁や王城は完全に風化し、いまは土が果てしなく広がるばかりです。 ―アスターナ古墳群:高昌国貴族の墓。 ベゼクリク千仏洞:火エン山の北麗、ムルトウク河の断崖に6~14世紀にかけてつくられた石窟寺でイスラム教徒の破壊にあい顔を削られた仏像が、波乱の歴史に想いをはせさせます。 カシュガル: 新騒ウイグル自治区南西部、タクラマカン砂漢の西方にある中国最西の都市である。2000年の歴史を持つ古い街で市内には西域最大のイスラム寺院があり、礼拝の時間には多勢の信者がメッカに向かって祈るところが見られます。その地名は「玉の集まる所」を意味し、シルクロードの要衝として古くから栄えた国際商業都市である。付近は農業地帯で、世界最高級の一つと数えられる綿花を産出し、牧畜も盛んである。カシュガルはその集散地で大規模な家畜市場などもある。住民はウイグル族が最も多く、ほかにインド系、アフガニスタン系なども住み、物産の買い付けや輸出入に従事している。 ウルムチ: ウルムチとはウイグル語で「美しい牧場」の意味。ウイグル族など13の民族が住み、行き交う人びとの姿や街並みにも、エキゾチックムードがいっぱいの街である。見どころは、中国全体の6分の1にも当たる広大な自治区内に出土した文物を収蔵する「新疆ウイグル自治区博物館」。1953年に創設され、シルクロードの出土品30,000点余を収蔵している。常時、約2,000点の文物が、石器時代・戦国、秦・漢、三国・両晋・南北朝、隋・唐、宋・元、明・清の6つの時代に分けて展示されています。そのうちには、シルクロードの隆盛ぶりをしのばせる絹製品が多く含まれ、文字どおり、シルクロード博物館といってよい博物館です。 チ@モモᄍヒᄡツᅩテoテUチ[テヒチFテEテヒテタテ`ツᅤヘᅤツ 新疆国際大バザール:延べ床面積10万平方メートルの世界一のバザ 天池:ウルムチから北東へ車で1時間ほどの風光明美な観光地である。いく重にも連なる山に囲まれた氷河湖である。 タクラマカン砂漠―― タクラマカンとは、ウイグル語で「一度入ったら生きては帰れない」死の砂漠という意味である。かつてシルクロードには、タクラマカン砂漠を縦断するルートがあり、商人たちは砂漠の中にある塩水湖ロプノールやそのほとりに栄えた楼蘭王国を目指した。しかし、やがてシルクロードのルートが変わり、「さまよえる湖」ロプノールの水はなくなってしまった。楼蘭はシルクロードの交易が盛んであった漢の時代を最盛期にして、再びその栄光を取り戻すことはなかった。今、楼蘭遺跡はタクラマカン砂漠の砂の海に消え去ろうとしている。 探検家ヘディンによると、紀元世紀には孔雀川の下流域にロプノールが存在したが、やがて移動してタリム川の下流域のカラブラン湖とカラコシュン湖になったという。1995年9月、天山北路と天山南路を横断し熱砂と砂嵐の吹きすさぶ砂漠を通過するタリム公路が建設された。 楼蘭:西域のさまよえる湖、ロプノールのほとりに栄えた古代の都市で、今世紀初め、ヘディンとスタインの二人の探検家が調査に成功するまで、長い間幻の国であった。 鉄門関 コルラ スバシ故城 クズルガハ千仏洞 キジル千仏洞:申国の著名な石窟の一つで、現在までに整理・登録された洞窟は236ある。これらの申には、仏像を供養し礼拝に用いた「申心柱窟」、僧尼が修業や経典の講義に用いた学舎「田(比)呵羅窟」、僧尼が寝起きに用いた僧房、遺骨を埋葬する羅漢窟、および食物を貯蔵する倉庫などが含まれている。このように完全な形態の建築体系は、世界申の仏教の盛んな地域でもあまり例を見ないものである。ここに保存された壁画面は、一万平方メートル近くに達し、有名な敦煌の壁画群に次ぐ。これらの壁画は、約3世紀~13世紀までの新彊地域の歴史や現実の生活を記録しており、古代新疆の政治、文化、経済、民俗および申国と西域との経済・文化交流の様子などが知られる。 クチャ: タクラマカン砂漠の北、天山南路上のオアシス国家であった。かつてはキジ王国呼ばれ、西域最大の都市でした。4世紀には、高僧鳩摩羅什が仏教知識の豊富さと、語学力をかわれて長安に招かれ、厖大な量の経典を漢訳しました。 アクス: クチャの西方にあり、ヘディンやスタインなどの探険家たちが探検の拠点とした街。付近にはキジル千仏洞やクムトラ千仏洞などの見事な仏教遺跡が残っており、探険家たちによって西欧に紹介されました。 西域のオアシス・ホータンとカシュガルーー 西域南道のオアシスであるホータンとカシュガルはイスラムの異国情緒漂う街である。ホータンは玉と絨毯の生産地として知られている。現在でも川のほとりで玉を拾っている者が多い。玉は中国人にとって悪魔払い、幸運を呼ぶ力を宿す石であり、お守りとしてまた彫刻を施し磨き上げて置物や器にする。絨毯はイスラムの文化を思わせる模様が巧みに織り込まれている。中国最西端の街カシュガルから現代のシルクロード、カラコルムハイウェイはパミールを越えパキスタンへと続いている。 エイティガール寺院 ホージャ廟 タシュクルガン 河西回廊―― 広大なゴビ砂漠に点在するオアシスを辿る道は、河西回廊と呼ばれシルクロードの東端を形成している。シルクロードは、中国にとって文明の生命線で、シルクロードからやってくる西方の文明・文化を吸収して華やかに咲き誇ったのである。二千年の昔からシルクロードの最重要路とされて争奪戦が繰り返され、"民族興亡の道"とも呼ばれてきた河西回廊。黄河の西・東西約千二百キロに及ぶ帯状の地帯である。中国と河西回廊を虎視眈々と狙う騎馬民族から守るために万里の長城が建造された。敦煌は、その河西回廊の西端に位置する都市である。 麦積山石窟 炳霊寺石窟 雷台漢墓 馬蹄寺石窟 丁家閘墓 嘉峪関:「天下第一雄関」と呼ばれる万里の長城最西端の関所です。3層の楼を中心に2重の壁を巡らせたこの楼門で、西域からの旅人はラクダから馬へと乗り換えたとされています。渤海湾をのぞむ山海関から6千キロをへだてて、長城はここで砂漠の中にゆっくりと埋もれていく。 |
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