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甘粛省 蘭州ーー 省都蘭州は、黄河の最初の河谷である皐蘭盆地に位置する横長の町である。蘭州と呼ばれるようになったのは隋朝の開皇元年(581年)からで、すでに1400年の歴史がある。現在の蘭州は市街区に130万人、郊外を含めると人口240万人、西北地方第2の大都市である。市街地は黄河の南岸20キロに細長くのびています。古来、ここは長安から西域へ入るための黄河の渡河点、つまりシルクロードの宿駅として栄えてきました。玄奘も、チベット王の許へ嫁した文成公主も泊った、この街の歴史を知るには甘粛省博物館が最適です。市内のほぼ中央にある白塔山に登れば流れる黄河と蘭州の市街が一望の下にのぞまれます。 甘粛省は鉱物資源の種類が豊富で埋蔵量が多いので、蘭州の鉱工業企業は比較的発展が見られてきた。石油・化学工業・機械・金属冶金など、中小あわせて800ほどの企業がおこされている。代表的な企業は1950年代にソ連の技術援助で興された西北最大の蘭州石油コンビナートである。埋蔵されている豊富な資源が開発利用されるに至ったのは新中国成立以後のことであり、鉱物資源の本格的開発は21世紀へ向けて進行中と言えよう。 蘭州はまたウリと果物の産地として全国的によく知られ、“瓜果城"と呼ばれ、中でも白蘭瓜と冬果梨の栽培が盛んである。 五泉山公園: 漢代の将軍霍去病が、匈奴征伐のおり鞭を5回山腹に刺したところ、5つの泉が湧いたという伝説の地です。 酒泉― 古くは粛州と呼ばれた東西の経済・文化交流の要衝だったところ。マルコポーロもこの町を訪れています。酒泉の名の起こりとなった霍去病の故事にちなむ泉はいまも城の東門の外、酒泉公園に残っています。西方30キロ、無人の砂礫地ゴビ灘に立つ楼が嘉峪関である。
敦煌―― 敦煌は中央アジアのど真中、中国甘粛省北西部の都市である。漢の武帝が敦煌郡を置いて以来、西域経営の重要拠点として、またシルクロードの要衝として栄えた。住民は漢人系のほか、イラン系、トルコ系などさまざまな民族が住んでいる。漢代、唐代に築かれた敦煌の街はいずれも滅びて砂の下に眠っており、現在の街は清代につくられたもの。これほどまでに、民族興亡の歴史や激しい自然の脅威にさらされた古都は世界でも珍しい。敦煌はかつて砂の町、沙州と呼ばれ、「敦煌に雨は降らない。降るのは砂だ」と地元の人々は言っている。現在の街の南には岩肌が壮厳な奇景を見せる三危山があり、それに連なって全く対照的にサラサラした細かい砂が鮮やかなりょう線を描く巨大な砂丘がある。風が吹くと砂が流れ落ち、鳴くような音がすることから鳴沙山と呼ばれている。この鳴沙山の東側絶壁に開かれた石窟が莫高窟である。敦煌以外でも、日本でもたとえば薬師寺の薬師如来像の台座には、四神獣があしらわれているのである。敦煌から玉門関を通りさらに西で、シルクロードは天山南路と天山北路の二手に分かれる。 莫高窟:敦煌市街の南にある鳴沙山の東側絶壁に約1.8キロにわたって点々と開かれた石窟。古い記述では千窟以上あるとされるが、現在までに発見されたのは492窟。各石窟内は全面が彩色壁画で飾られ、合計二千二百以上もの塑像が安置されている。とりわけ莫高窟が世界の注目を集めるようになったのは1900年。第16窟北壁の密室から、数万点に及ぶ古文書が発見されたためである。いろいろな言語による様々な宗教の経典、文学作品、美術品の数々は、それまでの人類文化史を塗り替え、敦煌学と呼ばれる新しい学問分野をも切り開いた。ただ、この文典類をいつ、誰が、どんな状況下で埋蔵したかについては、いまだにナゾに包まれている。 莫高窟の像・絵画においては、仏教と中国の神仙思想が混在している。例えば、第二四九窟は西魏(535-556)のものだが、仏教の神である阿修羅のほかに、中国の伝説に登場する西王母、東王公、風伯、雷神、その他、青竜、朱雀、白虎、玄武の4神獣までえがかれている。おなじ西魏窟とされる第二八五窟には、中国の天地創造伝説の主役である伏羲などがえがかれている。これらの神々あるいは怪物が、仏教と無関係であることはいうまでもない。 月牙泉:月牙泉は、敦煌県の南10キロほどのところにある鳴沙山の、北麓にある泉。昔は沙井と呼ばれていました。砂の中から湧き出た湖で、3千年来水が涸れたことがないといわれる。水面は三日月形をしていて、外に向かって流れだすこともないのに、たえず小波をたてながら流れているので有名。水は底が見えるほど澄み、濃い藍色の水中には水草が密生しています。昔から、この泉でとれる鉄背魚、七星草を食べると長生きできるといわれ、地元の人びとは月牙泉を薬泉とも呼んでいます。鳴沙山の上から見ると、その不思議な水面の動きがよく分かります。
楡林窟 鳴沙山:全山が砂に覆われた東西40m、南北20km、高さ数10mの背が鋭い角度をした丘陵。風が吹くと鳴くような音がすることから鳴沙山といわれ、伝説によれば数万の人馬が宿営したが、突然の強風で全員が砂に埋まってしまったという。 玉門関 陽関 紅沙河: 黄河がえぐった赤褐色の奇岩が壮絶な峡谷を形づくる中国版のグランドキャニオンである。 ゴビ砂漠: この砂漠は粒子状の細砂ではなく石ころが果てしなく続く砂礫地で、モンゴル語で「ゴビ」と呼ぶことからきている。砂嵐がひとたび吹けば、隊商は進路を誤り、焼けつくゴビで行き倒れになることも珍しくなかった。 嘉峪関: 万里の長城の最西端として名高い。楼は3層、内壁と外壁の2重城壁をめぐらし東西156m、南北160mの厳重な構えをしている。 |
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